※『IRIS』詩さんからのいただきもの
*
――これは、一体どういう状況だろうか。
(なんで……マリーがこんなところで……!?)
普段は垂れているブルーグレーの瞳を見開いたラギーは、寮の自室のベッドに寝転んだ状態のまま硬直した。その要因となっているのは、瞳に映っている存在――マリーだ。マリーは猫のように丸くなり、ラギーのベッドでスヤスヤと寝息を立てていた。
(待て待て待て、なんでこんなことになってるんスか!?)
ラギーは記憶の糸を手繰り寄せ、事の発端を思い出そうとした。
確か、白猫に変身したマリーがいつものようにナイトレイブンカレッジを彷徨いているところに出くわしたのだ。しかし、そのときのマリーの様子が普段と違っていた。足元はふらつき、目の焦点は定まっておらず、うつらうつらと船を漕いでいるような……つまるところ、眠そうだったのである。
聞けば、徹夜で錬金術の文献を読み漁ってそのままナイトレイブンカレッジに来たというのだから、ラギーはため息をつくしかなかった。本人に自覚はないかもしれないが、必死になるあまりに自分を追い込みすぎるのはマリーのよくない癖だった。
帰って寝ろと言いたいところだったが、いつものようにフクロウの姿になって飛んで帰るにしても、途中で眠気に負けて墜落してしまったら笑い話では済まない。仮眠を取ってから帰ったらどうだ? と、提案したラギーが白猫姿のマリーを連れて帰ったのが、サバナクロー寮の自室だった。幸いなことにルームメイトは不在、部屋にはラギーだけである。
獣人属のむさ苦しい男たちが群がるサバナクロー寮には絶対に入るな、とラギーはマリーに普段から口酸っぱく言っていた。しかし、魔法薬学の宿題を片付けないといけなかったことと、マリーが白猫の姿だったこともあり、つい部屋に連れてきてしまったのだ。
眠気がピークに達していたマリーは吸い寄せられるようにベッドで丸くなり、秒と経たずに眠ってしまった。その寝息を聞きながら、ラギーはしばらく宿題と向き合っていたのだが……どうやら彼自身も眠気に負けたらしい。いつの間にかベッドの上に転がっていたのだから。
「マリー、起きるッス! 人! 人の姿に戻ってる! マズイって!」
ラギーは必死になってマリーの肩を揺すり起こそうとしたが「う~ん……」と小さな唸り声は聞こえたものの、すぐに規則正しい寝息が再開される。
「……まつ毛、長」
思わず呟き、肩を揺らしていた手をマリーの前髪へと滑らせる。
髪と同様に肌も透き通るように白く、長いまつ毛に縁取られたルビーレッドの瞳は瞼の下に隠れている。半開きの桃色の唇からは柔らかな寝息が漏れてラギーの耳を擽る。
(なーんで、こんな一銭にもならないことをしてるんスかね)
ラギーは何事にも損得勘定で動く男だ。自分にとってプラスにならないことには絶対に関わらない。逆に、将来的に利益になると見込めば現状何の得にならなくても動くことがある。
外部の人間に対して恩を売っておくことも悪くないという考えから動き始めたものの、マリーの手助けをするということはラギーにとって限りなく前者に近い。それなのに、図書館の本を貸してやったり、学園の中を案内したり……こうして、自室に匿ったり。
「何してるんスかね、オレ」
前髪から目元へと指先を滑らせ、輪郭を撫でる。それでも一向に起きようとしないのは、マリーが単に警戒心が薄い……というわけではないだろう。初めて人間の姿で出逢ったときのマリーの瞳の鋭さをラギーは覚えている。
と、いうことは。
「安心したように眠っちゃって。……悪い狼に喰われても知らないッスよ~」
まあ、ハイエナなんだけど。と、小さく付け足そうとしたラギーの大きな耳が、遠くの音を拾いピクリと動いた。とっさに、ブランケットやら枕やらをマリーの上から被せる。
「おい、ラギー」
「れ、レオナさん……」
ラギーの部屋に現れたのは、レオナ・キングスカラー。サバナクロー寮の寮長である。
「おい、俺の財布どこいったか知らねぇか?」
「はぁ? オレが知るわけないでしょ。制服のポケットにでも入ってるんじゃないッスか?」
「ないから聞いてんだろうが。おい、探すの手伝え」
「え……や、今はちょっと都合が……」
「んん?」
部屋の入口にもたれかかったままのレオナは、鼻先を数回ヒクつかせた。
「なんだ、この匂い……」
「!」
「おい。そこに何を隠してやがる」
レオナは紛れもなくベッドの上を指さしている。これほど獣人属の嗅覚と勘を呪ったことはない。
このまま、マリーが見つかってしまった場合を想像してみる。
レオナとマリーは顔見知りである。学園にマリーが侵入していることについてレオナはとやかく言わないだろうが、なんせ場所が悪い。傍から見たら、どう考えてもラギーが部屋に連れ込んでいるようにしか見えないのだ。部外者を招いたことをチクチク言われるか、または意味ありげに笑われてしばらく弄られるかどちらかだ。
「ニャ~」
この状況を抜け出す方法を必死になって考えていると、気の抜けた鳴き声がラギーの部屋に響いた。ブランケットがモゾモゾと動いたかと思うと、その下から白猫が――マリーが頭だけをひょっこりと覗かせたのだ。
それを見たレオナは、鋭く尖らせていた視線を幾分か緩めた。
「なんだ、猫か?」
「そ、そうなんスよ~! 動物言語学の実技練習の相手になってもらってたんスよね!」
「ふ~ん……まあいい。餌付けすんじゃねぇぞ。百獣の王の寮が猫の住処になるなんて笑い話にもならねぇ」
「了解ッス~!」
幸いなことに、レオナは白猫がマリーだということに気づかなかったようである。もしくは、気づいた上で見逃してくれたのかもしれない。どちらにせよ助かったと、ラギーがため息を吐き出すと、もう一つため息が重なった。
「危なかったッスね、マリー」
「ニャア?」
「あ、動物のときは人間の言葉がわからないんだっけ」
「ニャ~ン?」
「……寝顔、なかなか可愛かったッスよ」
ラギーが頬を染めた理由を白猫姿のマリーが理解できるはずもなく、ただ小首を傾げて尻尾を揺らしたのだった。
2022.04.03